8月9日。長崎は63回目の原爆の日を迎えた。
長崎で、育ってきた私にとって今日は特別な日だ。
63年前の今日、いつものように青い空、そして蒸し暑い日だったことだろう。
午前11時2分。
突然の強い光、そして熱風。
一瞬にして長崎の街は廃墟となった。
多くの罪もない人たちが亡くなり、生きている人た日も地獄のような苦しみを味わった。(いや、苦しみは今も続いていることだろう。)
子供のころは今日という日が嫌いだった。
むごたらしい写真を見せられたり、話を聞かされたりするのは怖かったし恐ろしかったからだ。
何で毎年毎年、こんなもの見せられなけれはならないのかという思いのほうが強かったかもしれない。
でも、大人になるにつれて、原爆の悲惨さ、戦争の惨さを感じるようになった。
周りにもたくさん被爆者や、二世、三世の方がいる。
わたしにとって良くも悪くも原爆は身近な問題だ。
あの日の苦しみをもう誰も味わわないですむ世の中になってほしい。
誰もが幸せであってほしい。
そんなことを思わずにはいられない今日、8月9日である。
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